戊辰会津戦争 母成戦戦跡への道 その4

母成峠には、「母成戦戦跡への道 その1」に記したとおり、会津方の本陣が据えられていた。峠の頂上付近に長い土塁を構築し、木柵を立てて防備としたのである。
そして今もなお、土塁の痕跡がこの周辺に残されているのだ。
ただ、やっかいな事には、現代に作られた防火用の土塁もこの近辺に設置されていて、当時の遺構と間違える人も多いようである。
戊辰戦争当時に作られた土塁の詳しい位置は、「ふぃーるどわーく 会津東」に収録したので、ご興味のある向きは是非ご一読願いたい。

さておき、土塁の様子を写真でご覧戴きたい。
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写真中央部の斜面に、浅く窪んだ箇所が手前から奥へ長く続いているのがお判り戴けるだろうか。
これが戊辰戦争の土塁跡である。

こちらは画面中程を左から右へ、土塁跡が斜めに走っている。

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下の1枚は、画面の中央部が小高く盛り上がり、石を並べて平らに地面をならしてある。
砲台として使用した可能性が伺える場所だ。

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この先は急斜面が深い谷底へ落ち込む地形となっており、かすかに沢の水音が聞こえた。

bonari8右の写真は、上の土塁跡へ続く「旧道」である。
グリーンラインから外れた場所に、当時の面影がひっそりと息づいていた。


下の写真は、別の場所に残った土塁跡。
画面中央の地面が、手前から奥へえぐれているのがお判り戴けると思う。

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これも、同じ場所の写真。
窪んだ筋が縦に延びているのが見て取れる。

峠のてっぺんを後にして、母成グリーンラインを南方向へくだる。
「母成戦戦跡への道 その1」の説明図にある「八幡山陣地」に相当する辺りで、わずかに自動車道を逸れると、見事な石組みが出迎えてくれた。

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この石組みは、江戸中期以降の積み方で作られているという。戦国時代に存在し得なかったのならば、戊辰戦争の遺構と考えて差し支えはあるまい。
下の1枚は、石組みの上で撮影したもの。
木立のすぐ先が石組みの段差である。
かなりの広さで平らに整地してあり、複数の砲と多数の人員が詰めるのに充分な大きさがあった。
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<2009年1月27日付 「歳月堂オンライン」旧ver.の記事より転載>

2011-11-06 : 行軍手控 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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