戊辰会津戦争 母成戦戦跡への道 その3

達沢方面から歩くと駐車場の奥。一段高くなった場所が、東軍戦死者の埋葬地である。
木立に囲まれた砂利敷きの小さな広場には、慰霊碑と、会津藩家老・西郷頼母の歌碑。そして戦死者を埋葬した土饅頭がL字型に並ぶ。
bonari22

母成峠の攻防戦で命を落とした東軍の士卒は、埋葬どころか移動も許されず野ざらしにされた。
後に、彼らを仮埋葬した場所がここである。

時間経過と共にこの土饅頭を草が覆い、所在不明となっていたが、昭和53(1978)年6月にようやく再発見された。埋葬地は改めて小広場として整備され、昭和57(1982)年10月には戊辰戦役東軍殉難者慰霊碑の建立に至った。

bonari19
bonari20

背面には「戦死者」と題して、会津藩38人、二本松藩6人、唐津藩6人、新選組6人の氏名がそれぞれに刻まれている。これは氏名が明確になった者のみを対象にしており、名も知れずここに瞑る事となった人々の正確な数は判然としない。

慰霊碑に向かって左手の並びに、草で覆われた土饅頭。
周りをぐるっと短い杭で囲んだここが、埋葬の現場である。前面には「東軍殉難者埋葬地」と書いた木標が添えられて、彼らの墓碑代わりのようにも見えた。

bonari21

土饅頭前からは左斜め後ろに位置するのは、会津藩家老・西郷頼母が、会津若松市内の阿弥陀寺で明治22年4月24日に初めて行われた会津藩殉難者慰霊祭を喜んで呼んだ和歌を刻んだ歌碑。昭和59(1984)年9月、鎮魂のために建立されたという。
 「なき魂も 恨みは晴れてけふよりは ともに長閑く天かけるらん」
 “しん”と静かな空気の中、壮絶な戦いと多くの命に思いを馳せる場所だ。

bonari18

bonari2駐車場と小広場の脇を通る、達沢方面からの砂利道へ戻り、少し進むと上方を横断する母成グリーンラインが見える。その下を潜って大きく左へ回りこむ形で続く道を辿れば、やがて母成グリーンラインと合流。
自動車で訪れた場合には、道路傍に設置された案内看板を頼りにこの道へ入る事になるが、見落としかねないので注意が必要だ。
右の地図上に記した①の箇所が、下に掲載した写真を撮影した位置に相当している。
磐梯熱海方面からの走行なら、峠上の駐車場を目印にできるが、猪苗代側から登る際には事前の目標物となりうるものは皆無である。

bonari14

改めて、母成グリーンラインを南方向へ登る。
程なく左手が、樹林から長めの石垣へと変化。この上が、峠上の大駐車場だ。
駐車場の片隅には、「戊辰戦役 母成峠古戦場」と刻まれた記念碑が建っている。
この石碑も東軍殉難者埋葬地と同様の昭和57(1982)年10月に、併せて設置された。
左側面には、この戦闘に臨んだ会津方と新政府方双方の主だった人物名が記され、右手側には戦闘の日付が彫り込まれている。


bonari15母成峠古戦場記念碑
隣に据えられた石版に
戦闘の概略が綴られている。


ここから少々、峠上でのお楽しみ。(笑)

<2008年1月20日付 「歳月堂オンライン」旧ver.の記事より転載>

2011-11-06 : 行軍手控 : コメント : 0 : トラックバック : 0
Pagetop
コメントの投稿
非公開コメント

Pagetop
« next  ホーム  prev »

プロフィール

歳月堂

Author:歳月堂
歳月堂ブログへようこそ!

発行物の情報

ふぃーるどわーく多摩NEXT
2017年12月発行(増補改訂版)

↑ Click here!

ぶっくれっと石田散薬
2017年8月発行

↑ Click here!

ふぃーるどわーく甲州
2015年7月発行(改訂第2版)

↑ Click here!

新選組even
2015年5月発行

↑ Click here!

ふぃーるどわーく京都 西
2014年8月発行(改訂第3版)

↑ Click here!

歳月堂オンライン

歳月堂について詳しくは
「歳月堂オンライン」をご覧ください
お問い合わせ用メールフォームもご用意しています

ブログ内検索

QRコード

QR