戊辰会津戦争 母成戦戦跡への道 その1

母成峠は、戊辰戦争を語る上で非常に重要な場所である。
慶應4(1868)年8月21日、この一帯で展開された戦闘により会津藩の防衛線が破られ、その後約1ヶ月に及ぶ「会津若松城下戦」の端緒となった。
新選組隊士達は前日の20日、山口次郎(斉藤一)指揮の下、伝習第一大隊と共に猪苗代から母成へ着陣したようだ。
歩き始める前に、当日の模様を把握しておこう。

下の地図は、会津方の布陣と新政府軍の進路を示したものである。
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母成峠は、戊辰戦争を語る上で非常に重要な場所である。
慶應4(1868)年8月21日、この一帯で展開された戦闘により会津藩の防衛線が破られ、その後約1ヶ月に及ぶ「会津若松城下戦」の端緒となった。
 新選組隊士達は前日の20日、山口次郎(斉藤一)指揮の下、伝習第一大隊と共に猪苗代から母成へ着陣したようだ。

A 母成峠本陣
会津方の主力が守備にあたった。峠上には防護柵と土塁を築き、背後には陣屋、訓練場などが設置されていた。
第三台場と位置づけられる。
B 二枚橋陣地
石筵川の絶壁が終わる地点に、守備隊を置いて敵に備えた。母成戦当日にも布陣していたかどうかは不明。
C 勝岩(猿岩)陣地
石筵川沿いに延びた、全長2キロメートルに渡る断崖絶壁。名称を聞いただけだと一塊の岩を想像しがちだが、この絶壁全体を勝岩もしくは猿岩と称する。天然の要害上に、三段構えの胸壁を構築して敵に備えた。
上記二枚橋陣地と合わせて、配備された人員は伝習第二大隊200名、会津藩猪苗代歩兵一小隊50名、二本松藩歩兵一小隊50名、新選組70名。
D 八幡山陣地
中軍山・東ソネと共に第二台場と位置づけられる台地。会津藩猪苗代城代・高橋権太輔が率いる大砲隊が布陣。
E 中軍山陣地
第二台場の中心となる隆起。這い上ってくる敵を迎え撃つには絶好の場所である。
F 東ソネ陣地
第二台場の左翼を担う。猪苗代からの部隊が配備されていた。
G 八幡前陣地
この近辺で、地形の傾斜が急になる。現在は樹木が生い茂っているが、当時は見晴らしが良く、下方からの攻撃に対しての守備に適した立地であった。
ここと萩岡陣地が、「第一台場」と見なされる。
H 萩岡陣地
少し開けた地形に、小高く突き出た「離れ山」山腹に設置された。
ここは防衛戦と言うより「物見」の役割で設置された陣地らしく、戦闘が始まってすぐに合図の砲を撃ち、速やかに上方の陣地へ引いている。
仙台藩兵が詰めていた。
ここから母成峠にある本陣までの「メインストリート」に、会津藩兵140名、伝習第一大隊130名、二本松藩兵50名、仙台藩兵100名が配置された。
I 仙台藩本陣
防衛陣が配備された当時、仙台藩が陣を張っていた。母成戦が開始される前に、引き払われている。

① 中央突破隊
薩摩藩の7隊と3砲隊、長州藩の1中隊および1小隊、土佐藩から6隊と断金隊ならびに砲隊、佐土原藩の2隊と1砲隊。総勢約1300名。
玉ノ井村(現・大玉村玉ノ井)から舛田峠を越えて石筵へ。そこから母成峠へまっすぐ攻め上った。
② 伊達路侵攻隊
長州藩の三番中隊ならびに砲隊、土佐藩から7小隊。
山入村(現・大玉村玉ノ井)から赤木平を越え、伊達路と呼ばれる古道を進んで勝岩へ出た。兵数約1000名。
③ 達沢間道隊
薩摩藩の6隊と、大垣藩3小隊。約300名。石筵の上部で中央突破の本隊と別れ、山葵沢伝いに大滝山方面へ登って萱峠を越え、達沢方面から会津方の背後を突く作戦を取った。

午前9時頃新政府軍が石筵に到着してから、母成峠の本陣が突破される16時頃までの7時間、この土地に砲声と硝煙が渦巻いたのである。
このときの新選組戦死者は、漢一郎、加藤定吉、木下巌、小堀誠一郎、鈴木練三郎、千田兵衛の6名。判明している負傷者名は、阿部隼太、石田入道、田中健造、丸山駒之助。負傷者は、この4名以外にも存在した可能性が考えられる。

踏査の行程は、まず猪苗代駅からバスで国道115号線(土湯道路)を走り、沼尻から中ノ沢温泉を抜けて達沢へ。
達沢から徒歩で母成峠へ向かい、さらに母成グリーンラインを下って勝岩を目指す。
その後、石筵ふれあい牧場まで下ってバスを捉まえ、磐梯熱海駅へ抜ける、というものだ。
同じ行程を数度通っているが、この記述は2005年6月の踏査を中心に進める事とする。 bonari16
bonari0早朝の猪苗代駅に降り立ち、駅前広場左手奥にある会津乗合自動車の営業所へ向かう。中ノ沢温泉経由達沢行きのバスへは、わずか数分での乗継ぎだ。
 車内に運転士の姿は無く、ドアも閉まっていたため、傍らで待っていると、やがて運転士のおっちゃんがやって来た。目の前でドアを開け、運転席へ腰を降ろすと即座にドアを閉めて発車しようとする。慌ててドアを叩いたら、すぐ停車してドアを開け直す。
「あれ、乗るんだったの?」
この状況で、他に何があるというのか。普段の利用客がよほど少ないせいかもしれないが、あまりといえばあまりな扱いである。
ともあれ座席に腰を降ろし、終点の達沢を目指す。



<2007年9月24日付 「歳月堂オンライン」旧ver.の記事より転載>

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