仙台藩校養賢堂の正門

かつて仙台藩の藩校「養賢堂」があった場所として、宮城県庁敷地の一角を『ふぃーるどわーく仙台・宮古』で紹介した。
養賢堂の建築はすでに存在しないが、正門だけが泰心院(たいしんいん)という寺に移築され、現存していることがその後わかった。

養賢堂は、3000名を収容できる大講堂のほか、孔子廟、学寮、手習所、学頭役宅、武術道場、馬場など多数の施設を備えていた。
戊辰戦争の当時、仙台に集まってきた旧幕派諸藩の軍勢に宿舎として使われたので、おそらく新選組の面々もここを訪れたと考えられる。仙台藩の降伏後は、一転して新政府軍の本営となった。
明治期に入り廃藩置県の頃、養賢堂が宮城県庁の庁舎となる。この時、新しく洋風の門が建設されることとなり、正門は競売にかけられ、泰心院に払い下げられた。

※ 一説には、正門が移築されたのは、仙台藩が降伏し新政府軍が進駐してくる直前という。仙台藩士らは、新政府軍に養賢堂を明け渡すことが忍びなく、しかし建物全てを移す時間がなかったので、せめて正門だけでもくぐらせまいとしたのだとか。
ただし、この説を裏付ける史料の存在は明確でない。

昭和6年、養賢堂の東側に新しい庁舎が建てられ、県庁はそちらへ移転した。養賢堂の敷地は、師範学校や陸軍病院の用地として使われたが、大講堂は歴史的に貴重な建築として保存されていた。しかし昭和20年、仙台空襲の際に惜しくも焼亡した。
 養賢堂の正門だけが、泰心院に移築されていたため、結果的に戦災を免れたのである。

※ 大講堂のほか裏門や孔子廟門も、昭和初期までは残っていた模様。昭和10年、大講堂とともに精密な実測図が、仙台高等工業学校の建築学科生により製作されている。
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現在、泰心院の山門脇には「泰心院山門(旧仙台藩藩校養賢堂正門)」と題して説明板が設置されている。
それによると、この門は文化14年(1817)、大講堂と同年に完成したものであり、養賢堂が宮城県庁の庁舎となった際、ここに移築された。切妻造瓦葺の四脚門で、伊達家家紋(三引両と九曜)を配した漆喰塗りの棟、細部の彫刻が重厚な外観を成す。仙台市の重要文化財に指定されている。
sendai1往時の養賢堂を偲ばせる唯一の現存遺構が、この門である。仙台を訪れる機会があれば、ぜひ見てみたい史跡のひとつと言えよう。

泰心院
宮城県仙台市若林区南鍛冶町100
 地下鉄南北線 愛宕橋駅より:徒歩8分
           五橋駅より:徒歩10分
 「荒町」バス停より:徒歩1分
 (仙台駅前6番バス停等より六丁の目東町・閖上・霞の目・沖野行きなど市営バス路線あり)


<2005年10月30日付 「歳月堂オンライン」旧ver.の記事より転載>

2011-11-06 : こぼれ話 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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