阿久津安之助の墓・詳細

阿久津安之助(あくつやすのすけ)については、『ふぃーるどわーく下総・宇都宮』に紹介したが、その後、新たな情報を入手した。
安之助の墓は当初、今市市の北、毘沙門山麓の林に建てられた。しかし平成3年(1991)、明静寺の墓地に改葬されていたというのである。

慶応4年(1868)閏4~5月、今市攻防戦が続いていた頃。
瀬尾村の青年3名が、会幕軍により軍夫として徴発された。そのひとりが、阿久津安之助である。彼らは会津へ従軍していった。やがて会津藩の降伏後、同僚2名は瀬尾村へ帰ってきたが、安之助は戦死し、再び故郷を見ることはかなわなかった。
同僚が持ち帰った遺髪と小刀を、遺族が埋葬し墓碑を建てた。明治25年には、村を挙げての供養が営まれたという。安之助らが従軍したことにより、村が会幕軍によって焼かれずにすんだと、地元では信じられてきた。

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早速、明静寺へ調査に行った。
安之助の墓は、阿久津家の墓域に、他の墓石と共にあった。傍らの墓誌碑によると、かつて毘沙門山麓の雑木林「瀬尾上ノ平1257番地墓地」にあったこの墓を、ご子孫の意向により平成3年7月に改葬した。
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丸みを帯びた自然石の墓碑の正面には「明治元辰年十月六日卒 忠運全恵清信士 霊位」、裏面には「会津軍行村惣代死 安之助」と刻まれている。明静寺の過去帳には、慶応4年10月5日戦死と記載されているという。

なお、明静寺の墓地にはかつて「千本杉」があった。1本のスギにもかかわらず、幹が幾本にも分かれていることから、そのように呼ばれたらしい。この木の近くに旧幕軍戦死者が埋葬されたと伝わるが、墓碑や目印になるものがないので、具体的な場所は不明である。千本杉は近年伐採され、今では切り株が残るのみとなっている。

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明静寺
栃木県今市市瀬尾791
「明静寺前」バス停より:徒歩0分
下今市駅より:徒歩30分
大谷向駅より:徒歩17分



<2005年10月8日付 「歳月堂オンライン」旧ver.の記事より転載>

2011-11-06 : こぼれ話 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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